ショートショート 馬は立って眠る
- 2007/12/31(月) 00:17
―――馬は立って眠る―――
どこまでも野は広がっているように思うだろう。しかし、私たちがキャラバンをつれて歩くように、どこかの誰かも野をさまよっているかもしれない。我々と同じようにどこかで誰かとめぐりあうために……
父の言葉だ。私はその言葉を信じて、ずっとずっと、旅を続けている。私の後ろを荷物を積んだ馬が、ずっとずっとついて歩く。私のかけがいのない相棒、そして最後の仲間だ。
仲間の多くは、随分前に死んだ。父と母は、砂嵐の中でキャラバンからはぐれた子どもを助けに出て、そのまま帰らなかった。
キャラバンの仲間意識は鋼より硬く、刃よりも危うい。もし、仲間の一人が危険だとしても、その一人を犠牲にしてキャラバンが助かるなら、それが最小限の犠牲になるなら、助けない。鉄の意志で仲間を見捨てていく。
父と母も、そのようにして見捨てられた。父と母の最期の後姿を、今でも覚えている。キャラバンの幌車野幕と幕の間から、彼らが砂嵐に飲まれるのを見た。
今、私は馬と旅を続けている。私は一歩一歩確実に歩みを進め、馬はその後をついてくる。
馬は従順だ。何も文句を言わないし、人よりも長い間歩き、一生に一度、肉を分けてくれる。天から日が差し込み、私はローブで顔を覆った。
馬を省みると、馬は長いまつげのある目でこちらを見て、更に一足歩を進めた。私はまた歩き出す。
こうして歩くと、キャラバンの昔の姿を思い出さずにはいられない。キャラバンは、父と母がいなくなる前から脆弱になっていっていた。戦争で焼き払われた野には食べるものが不足し、キャラバンの人口はゆっくりだが、確実に増えていった。そのうちに、食べ物が足りなくなった。人口が増えて、食べる量が増えたためだった。
自分の家族を護るため、自分の口を賄うため、キャラバンの連中はいがみ合った。私は、それを見ていた。ただ、見ていた。
そのうちにキャラバンのなかで突如人間が消えるということがおこった。彼らは大抵よる、いなくなる。
そして誰も見つからない。
私はわかっていた。殺し合いが始まったのだ。戦争だ。
そのうちに、ダレもがお互いを信じられなくなり、怯え、そして更に殺しあった。不毛だ。私は考えた。
何故、殺しあわなければならないのか。私は自分に賛同するものだけを選び抜き、そして残りを殺していった。
戦争とは文化だ。文化とは、生き残る術だ。その場所や環境に合わせた人間の武器だ。そうでなければ何故人々は別々の文化を持ったろう?
強いものが生き残る文化を編み出し、頂点に立つ。それが人間だ。私はキャラバンの文化に立ち向かったのだ。崩壊した文化を、もう一度立て直そうとしたのだ。
もう一度、戦争によって、焼き払われた前世界の、平和とやらを、取り戻したかったのだ。
結果、次々に人が消えていった。私のことを畏怖し、畏敬の念で仲間は見た。
しかし、それも長く続かなくなった。
あるとき、仲間の一人が私を裏切り家畜を連れて、逃げ出した。家畜はキャラバンの全ての供給源だ。逃がすわけには行かない。
しかし、結局裏切り者を捕まえたものの、家畜はどこかへ逃げ去っていた。私たちの結束はまた揺らいだ。環境の変化が、文化を壊す。
壊れた文化を、人は支えきれないのだ。文化は一人歩きをする。歩みは人間をおいて、遠く、高く積みあがり、そして環境の変化で脆く壊れる。
歪んだ文化の塔と、人は支えられない。倒れる文化から、他人よりも先に逃げるため、殺しあう。これが戦争だ。文化が大きいほど、酷くなる。
この、世界が焼き払われた戦争の大きさを思うと、ぞっとする。どれだけ世界は文化という名の塔を積み上げてしまったのだろうか?船が世界中を行きかっていたのだろう。もしかすれば、それを自由に飛び回るものがあり、人々はあくせくと働きながらも、文化を積み上げることを楽しんでいただろう。
どれだけあるいただろうか。私が面を上げると、夕日がもう傾いて随分になる。私は馬の背から、荷物を降ろし、テントを組み立てる。野に落ちている枯れ木や枯れ草を使って、火を焚き、干物にした肉を炙る。茶を沸かして、テントの中、それを啜った。
馬は立って眠る。
私は馬が逃げないように、首に縄をくくりつけて、テントの足に縛った。縄は自分で編んだものだ。枯れ草を火で炙り、編んだものだ。
私はそれを確認して、眠りに落ちる。馬を失うわけには行かない。馬は私の文化なのだ。今、私がなんとか積み上げて壊さずにいられる、文化なのだ。これを失ったら、私はどこにもいけないだろう。私の生きる術は馬の背に、馬に括り付けられている。私のせいは馬の背に揺られているのだ。
私はそれを壊さないために、縄をつける。
翌朝私が起きると、野は久しぶりに腫れた天気に覆われていた。青い空、白い雲、そして、縄の先に、馬はいなかった。
私がどれだけ、どこを見回してても、馬の姿はない。慌てて縄を確認すると、縄は老化して、切れていた。
馬は立って眠る。
それは馬の文化だった。しかし、私に縛られ、馬は恐れらのだ。私と共に滅びることを。馬は立って、長いまつげのある目で、私を見ていた。私から逃げる隙を。
馬は立って眠る。
それを私は今、理解した。野に吹く風が顔に当たり、私は大声を上げて泣き叫んだ。鳴き声は、野に吹く風にかき消されていった。
Magician/手品師
- 2007/09/22(土) 02:20
Magician/手品師
私の彼氏は手品師だ。…あまり有名ではない。彼女の私としては今のままでも別段かまわない。月の半分以上家を空けようと、地方のホテルに自分を売り込んで帰ってこなかろうと、大したことじゃない、…たいしたことじゃ…ない。
いや、やはり少し寂しい。勿論彼のことは愛している。愛が無ければ結婚もしていないのに彼の家でぽつんと一人帰りを待つなんて出来やしない。私だって働いているし、勿論ずっと家に居るわけじゃないのだが、やはり寂しいと思うことはある。
そんなことを考えながら足でグリグリと彼の背中を蹴ると、彼がくすぐったそうにもぞもぞと動いた。無精者め。
私がうりうりと蹴り続けるとあからさまに面倒くさそうに彼がフローリングにくっつけていた身体を起して「なんだよぉ…」と唸った。なにが「なんだよぉ」だ。久しぶりの二人きりの休日に何もかまわないつもりか、コイツは。
「ね、ご飯いこ。」
「はぁ?」
「ごーはーんー」
私が言い直すと彼は、はぁ〜っ とため息をついて「だるい」と言った。勿論身体が、じゃない。気分というか、なんというか、ようするに面倒くさいのだろう。なんて男だ。愛する女のために何もしてくれないのか。私がそう思って膨れていると、彼がごろんと私のほうへ向き直って(寝っ転がったまま》言った。
「何も喰うもんないの?」
「ない。」
今、この家にはカップラーメンの殻とインスタントラーメンの袋、塩、しょうゆ、調味料少々、米数粒しかない。つまり何もないのだ。
「買出ししとけよー」
彼があからさまに面倒くさそうに言う。「だって、このアパートスーパーも駅もバス停も遠いんだもん」私がそうかえすと、彼は、ちぇっと言って身体を起した。ボサボサの神を手櫛で整えると、しゃあねぇな、とこぼした。
「どこ食いに行く?」
「やった!こないだ出来たイタリア料理店どう?」
彼はぶすっとした顔で「あまり金が無い」と呟いた。なんだか文句が多くて、冷たく見られがちな彼だが、これは彼としては自分のふがいなさを感じているようだ。文句は多し、言葉は切れ切れだが、ちゃんと聞けば何が言いたいのかわかるのだ。…長い付き合いだし。
「お金ないの?」
けれど今日お金がないというのは少しいつもと違っている。そりゃあ、私たちは貧乏だけど、彼は一昨日興行から返ってきたばかりだし、いつもならなんだかんだ言ってどこかに出かけたりするのに、お金が無いなんて、今までなかったことだ。
私が訝しんでいると、彼はポケットからハンカチを取り出して広げると
「一つマジックみせてやっから、近くのカフェな。」
「うん」
私の顔の前にハンカチをひらひらさせて
「おまえの顔からあるものを取っておみせしましょう。」
『お前、』て。まあ、いいや。私が椅子に座って足をプラプラさせていると、彼は広げたハンカチを私の顔の前に広げてまるでその向こうにお客さんが居るかのように(でもそれにしては少しけだるげに)
「さあさあ、まずはお顔のサイズを測らせていただきます。お顔の大きい人も、小さい人も大丈夫、心配しないで」
彼はまず私の顔の縦の長さを計ってハンカチの余った部分を下から折った。
「お次は横を、盾ばかり気にしてちゃあいけません。横だってある日気がついたら昔の倍もある…。まあそこまでは無いでしょう。でも手品じゃお肉は取れませんからね、気をつけて」
調子が出てきたのか、舌の滑りも悪くないようだ。楽しそうに彼は今度は縦に私の顔のサイズにあわせてハンカチを折った。
ちょうど、私の顔のサイズにハンカチが折られているわけだ。
「今度はこれをまた半分に折りまして…」
彼はそういいながら鮮やかに顔にかかった下半分を折まげた。私からは一体何が起こっているのかまったく見えない状態だ。私は軽い興奮と、何が起こるかわからない、ちょっとした不安を同時に感じていた。ドキドキとびくびくの合わさった感覚の中で、いきなりだった。
彼の唇が、私の唇の上に重なっていた。そっとだったが、確かなキス。興行から帰って来てからこれが初キスなので、少しびっくりしてしまった。
ふっと私の視界が開けて、彼が意地悪っぽい笑みを浮かべながら言った。
「見事、顔から唇を奪い取って見せました!」
「えー、手品じゃないじゃん!」
私がさっきとは違うドキドキを感じながらそういうと、彼は手に持ったハンカチに ふっ と息を吹きかけて私のほうへ差し出した。
私が手を出してそれを受け取ると、中には小さな箱が入っていた。いつの間に…ハンカチは渡しずっとみてたのに・・・いや、それよりもこの箱は…
取り出してみると、小さなボックスの上にはやっぱりちっちゃなリボンがついていて、それを解いて蓋を開けると中には指輪が一つ入っていた。
小さいけれどちゃんと宝石もついている。無難になのかダイヤモンド…に見える。
「これって…こんやくゆび」
「皆まで言うな。」
彼は手を広げて、耳まで真っ赤にしていった。
「結婚してくれ。」
「―――うん。」
私がそうかえすと、彼はまだ耳まで真っ赤にしたまま、「さ、飯いくぞ」といって玄関へ歩き出した。
「あ、待ってよ」
私がいそいそと箱に指輪を仕舞いなおすと、彼はやっぱり憮然とした顔で玄関で待ってくれて、靴を履いた私に手を差し出して呟いた。
「手ぇ、繋いでやッから遅れんなよ」
「なにそれ、子どもみたい」
私はそう言って彼の手を取って歩き出した。「へへへ」私が笑って彼を見ると、まだ恥ずかしそうに彼はぷい、と顔を背けた。でも手は握ったままで。暖かくて、なんとも言えない気持ちになる
。でも、これだけ言っておこう。
「恥ずかしがるのだけ直さないとね。」
「るせっ」
Fin.
HOLE/暗闇
- 2007/09/10(月) 00:16
HOLE/暗闇
ちりちりと音をたてて、ライターの火が揺れていた。私は、その日の照らす小さな視界のなか、手探りで進んだ。穴の中を。
ふと、後ろを見ると、ジェフが覚束ない足取りでついてくる。彼の神がまばらに顔にかかり、いつもの陽気さは消えうせて顔を俯かせていた。不安そうにこちらをうかがっている。
顎が砕けるかと思うほど、奥歯をかみ締めて湧き上がる衝動に耐えた。この男のせいで、私もこの穴に閉じ込められたのだ。外に出れたとしたら、真っ先にコイツの顔に拳を入れることに決めていた。婚約も破棄し、縁を切る。こんな情けない男だと知っていれば、近づかなかったのに。
「待ってくれ。足が、足が」
ひ弱な声が後ろから聞えた。後ろを振り向いて睨むとほんの後ろで壁に手をついて辛そうにも垂れて足を引きずる彼の姿が見えた。まったくもってイライラさせることがうまい男だ。私は何も言わずに歩き出した。この分だと、彼とは穴を出る前にお別れになるかもしれない。
―――この穴に先に入ったのは彼だった。キャンプ場から離れて二人っきりになれる場所を探していたときのことだ。友人のカップルと四人で行った夏のキャンプ。彼と私は二人きりになるのにちょうどいい場所を探しに、出て来ていたのだ。
勿論、やることは決まっている。邪魔が入らないように、といい場所を探していたときのことだ。彼がこの“穴”を見つけた。私はいやだといった。中は暗すぎるし、狭そうだ。いくら何でも狭すぎる。それに洞窟には何がいるかわかったもんじゃない。
しかし、彼は薄っぺらい―――今となってはもっと早く気がつけなかったのが残念だが―――笑顔を貼り付けて「大丈夫さ」と根拠のない言葉を残して、消えた。
そして何かの滑り落ちる音、ぶつかる音。私は慌てて降りてしまった。彼の叫び声と「助けてくれ!」という声が聞えたから。
私は滑りやすい穴の石の段を注意して降りた。ペンライトの明かりで足場を確認して降りれば、それはなんでもないことだった。
下につくと、彼は足首を擦っていた。そして泣いていた。赤く腫れた足は折れてはいないようだった。しかし、捻挫だろうか、それとも打ち身?どちらにせよ、歩くのは辛そうだった。私は持っていたペンライトを軸にして服を指して彼の足を固定した。彼はその間なにやら呟いているだけだった。それは初めのうち聞えなかったが、足を固定し終わり、「立てる?」と聴いたときにわかった。
彼は顔を上げると、劈くような金切り声で叫んだのだ「『立てる?』だと?このアバズレが!見ろこの足を!立てるわけ無いだろうが!お前のせいだからな!!わかってるのか!?」
そして落ちている石を私に投げつけた。石は私の額に当たり、血が出た。それにも気がつかない様子で「畜生!どうしてくれるんだ!?お前のせいだ!!『二人っきりになりたい』だとか調子こきやがって!!」……
そしてそれは起こった。彼が振り回した腕が鍾乳柱にあたり、鍾乳柱が折れ、そして入り口が崩れた。私とかれは頭を抱えてそこからはいずるようにして、難を逃れたが、入り口はなくなってしまった。閉じ込められてしまったのだ。
私たちは数分、呆然としていた。彼は絶望した顔で、入り口を見てから何か呪うような科白を吐きそれからまた泣いた。
その姿のおかげ、とは言いたくないがそのとき何かが私の中で吹っ切れた。私は背負っていた少ない荷物と、彼のバックパックから使えそうな物のみ取り出して自分のバックパックにいれて、歩き出した。
穴の奥へと。
少しすると、後ろから引きずるような音が聞え、振り返ると置き去りにしたジェフがついて来ていた。泣きそうな顔で、不安そうに肩をちぢこませている。
「悪かった」
彼はそういった。それから苦しそうに、痛そうに顔をしかめさせて、こう続けた「足が痛くてもう歩けそうに無いんだ。ハニー、担いでくれないか?」
私が答えないでいると、彼はひ弱な、卑小な笑みを浮かべて「なあ、助けてくれるだろう?だって、君のせいじゃないか?そうだろう?君がちゃんと助けてくれればよかったんだ。あのとき、そうしてくれれば………」
私は何も言わずに歩き出した。もう何も言わなかった。ただ、もう呆れていただけだった。ある意味ではこの“穴”に落ちてよかったのかもしれない。そうじゃなければこの男と結婚していたかもしれないし、この男の子どもを生むことになるかもしれなかったのだ。
子に罪はないだろうが、私の子どもにはいい父親といい関係を持たせてやりたかった。この男はダメだ。薄っぺらは外見の表面だけ着飾った男だ。私はこんな男の本質を見抜けなかったのだ。どうかしてる。そう自分に言い聞かせながら歩き続けた。
ときたま後ろから引きずるような音と、「悪かった」「助けてくれ」「愛してる、ハニー」と聞えてきたが、私は出来るだけ振り返らずに歩いた。
そのうち、穴の道が平坦ではなく、次第に細く、そして傾斜が現れ始めた。それも上に向けて。その上、今までとは違う臭いもし始めた。土の下の洞窟独特のこもったにおいだけでなく、それに冷たく、澄んだにおいが混じり始めた。
しかし、それと同時に、周りには横穴が増え始めた。大きな道は、よく見ればわかる。きっと、誰かが通った洞窟なのだ。大きな道には、(きっと出口に繋がる道だ)には歩きやすいように、石がある程度どけてある。
彼がそれに気がついたようすはない。どうせ後をつけてくるのだ。そう思えば言う気もしなかった。私は歩き続けた。傾斜がきつくなり、道が狭くなり始めたときだった。後ろからどさっと倒れる音が聞えた。私が振り返ると、彼がうつ伏せに倒れていた。
しかも、動いていない。
私は焦ってしまった。あれだけの仕打ちに呆れたのも、縁を切ろうと思ったのも切ろうと思っていることも変りは無いが、見殺しには出来ない。
私が近寄り、彼の顔を覗き込むと、彼は物凄いスピードで私からライターを奪い、そして隠し持っていた石で私を殴打した。必死に抵抗したが、彼の力には敵わなかった。私は地面にひれ伏し、痛みに意識が朦朧としていた。
「あばよ。アバズレ女」
彼はそういうと、私のお腹を殴りつけた。私の意識はぶつ切れになりながら、次第に遠のいていった………
私が眼を覚ますと、彼の姿は勿論無かった。バックパックも無かったが、私はポケットに彼のバックパックから取り出したライトを入れていたのを思い出し、それで道を照らした。横穴が多く、自分がどこを通ったのか、正直わかるかどうか怪しかった。しかし、道は簡単に、あっさりとわかった。上を照らすと、照明器具の配線がぼろぼろになりながらも、残っていた。一番太い本流をたどれば、きっと出られる。
ライターでは光が弱くてそこまで確認できなかったが、これならいける。
私が上と下、道を確認しながら痛むお腹を押さえて歩いていると、どこからか、彼の声が聞えた。幻聴か?そうも思ったが、そうではないらしい。次第に声は大きくなる。
私は辺りを見渡すと、横穴の一つから聞えていることがわかった。
私がその穴の近くまで行くと、彼の声が確実にそこから聞えていると確信できた。聞え方からして随分深い縦穴らしい。穴の縁から下をライトで照らすとジェフの岩肌にしがみつく姿が見えた。
なるほど、道を間違えて落ちたのだろう。
私は彼を冷たく見下ろしていた。
「アニー、アニー助けてくれ。落ちてしまったんだ。アニー!!」
彼は叫ぶようにして、そういった。私は何も言わずにその場を立ち去った。彼の声はずっと聞えていたが、一際大きな絶叫のあと、何も聞えないまま全てが静まった。
「さよなら、ジェフ」
私は痛む腹を押さえたまま、歩き続けた。穴の中を。
光が差し込むことを、信じて。
Hole/穴
- 2007/09/07(金) 21:49
Hole/穴
『私には、この“穴”を形容することは、不可能だ。』
もう、どれだけ、私はここにいるのだろう。伸びきった髪の毛の隙間から、私は上を見上げる。滑らかに積み上げられたレンガの壁が、自分の周りを三百六十度、ぐるりと美しい円を描いてそそりたっていた。壁には、私がつけた印が無数に彫られている。一つのレンガにつき、正確に二十ずつ、一日につき一つずつ、彫った印が。
言うなれば、これは、私が今いるこの無慈悲な円の壁が私を捉えるものは、“穴”だ。それも、恐ろしく縦に長く美しく重ねられた壁。上ることは不可能だった。ぼっかりと上にみえる出口は、私の掌よりもはるかに小さい。
あれがいつなのか、もうレンガの傷を数えて確認する気にもなれないが、私が目覚めたとき、私はここにいた。酷く焦ったことを覚えている。誰かがここへ私を放り込んだのだ。私は青ざめながら(実際に青ざめたかどうかはわからない。鏡はこの“穴”の中にはない)周りを調べた。そして大声で誰かを呼ぼうと叫んだ。
結局私に残ったものは、バケツ、釘が数本、掌大の岩、そして深い絶望だった。
それから、何日間、私は絶望に飲まれていたのだろう。何もかもがなかった。そのときのことで覚えていたことといえば、地獄がこの世にあるとすれば、それはここだ。ただそれだけだ。
しかし、その絶望のあとに私の中に残ったものは『復讐心』だった。
私は必ずこの“穴”を抜け出す。そして私をこんな目にあわせた奴ら全員に同じ苦痛を味あわせ、そして同じ苦痛の中で死なせてやる。
私はそれから、釘と岩を使って、レンガを精密な壁から砕きとる作業に取り掛かった。
………長い時間がたった。上れない壁を、登る必要は無い。私はレンガを取り外し、そしてその向こう側にある硬い土を、掘った。土は固く、素手では彫れず、かといって釘では細すぎて役に立たなかった。岩は土を掘ることに関しては素手と同じくらいの意味しか成さなかった。
バケツ、バケツがあった。一つのこされたバケツを、私は釘と岩でスコップの形に切った。釘で無理矢理に裂いたバケツだったそのスコップはギザギザで土を掘るのに役立った。土の中にあった石は釘と岩でレンガと同じように砕いた。…長い時間がたった。
今、手をみれば、私の手は老人のように荒れている。元いた“穴”は掘り出した岩で埋まっている。私は入れられた“穴”から、自分で彫り続けた“穴”の中へ移っていた。私は穴を、斜めに彫り続けた。勿論、上に向かってだ。
一日に一度はレンガに印をつけた。私が自分の時を見失わないために。それを止めたら、何かがなくなってしまう気がした。もしかしたら、私はそれが永遠に続くことを恐れていたのかもしれない。有限の時間の中、私はどんな形でもいい。終わりが欲しいのかもしれない。
がりっ
長い間使われ、先の削れたスコップが、岩のようなものに、当たった。私は釘を取り出すと、割りやすい位置を探すために岩の表面を手で払った……。
それは、滑らかだった。しかし、継ぎ目がある。強く手で土を払った。レンガだ。どこへ出たのか、レンガの壁が目の前に現れたのだ。
私は釘で継ぎ目を挫くと、岩で強く叩いた。
ボコッと音がしてレンガは向こう側へ落ち、埃を立てた。落ちたレンガのところから、さらにレンガを向こう側へ落とした。
そして私は、遂に開いた“穴”の向こうがわへ、足を伸ばした。
服を着た骸骨が、倒れていた。周りはぐるりと三百六十度円状に連歌が詰まれ、それは恐ろしく、正確だった。
そして、そのレンガには一個につき、二十ずつ傷がつけられていた。足元にはバケツだったものだろうか、随分荒く切られた鉄辺が落ちていた。
なによりも、目の前、自分があけた穴の反対側、そこには穴が、開いていたのだ。
まるで自分があけた穴と同じように思う。私は周りを見た。ぐるりと、精密なレンガの壁が多い、登ることは出来ない。そのレンガには一個につき二十ずつ、傷がつけられていた。
そのなかに、私は見つけた。
荒い字で、書かれている「『私には、この“穴”を形容することは、不可能だ。』 ここは絶望のふちか、あるいは地獄だ」
私の膝は崩落ちた。そして私は骸骨の横、声を殺して泣いた。何者もそれには答えなかった。穴は暗いまま、遠くまで続いていた。
Fin.
ショートショート Confession/独白
- 2007/08/25(土) 03:14
Confession/独白
キィ……キィ……キィ……
軋むような音を立てて、換気扇が回っている。でもそれにいかほどの意味があるのか、神父にはわからなかった。この部屋には換気扇があっても、換気口がないからだ。締め切られた部屋の中、ただただ意味もなく(それも低速で)換気扇は回っている。
部屋は室内でタダ一つ、換気扇から離れた部屋の入り口辺りに吊り下げられた裸電球が一つ。部屋の中は不思議なつくりになっていて、鉄格子が部屋を真っ二つに仕切り、部屋は塗りっぱなしのコンクリートが無慈悲に立ち尽くしていた。窓は一つだけ、それも大きな鉄格子ががっちりと塞いでいた。窓は高い位置にあり、下から覗くと、まるで何も見えやしない。それはせめてもの慰めのようなものだ。ちょうど、死刑執行前の神父の言葉、「何か言い残したいことはあるかね?」そっくりだ。
「何か、言い残したいことはあるかね?」
鉄格子越しに神父は聞いた。鉄格子の向こうで男は俯いていた頭をもたげて、「ある。」と返事をした。男はいくつだろうか。三十か四十か、昨日一日、髭をそっていないのだろう。短く生え始めた髭が男の年齢を曖昧に見せているのだ。男は手錠のかかった手で頭を覆った。神父は眉一つ動かさずにそれを見ていた。神父の歳はまだ言っても中年を過ぎた辺りだろう。彼は男の様子をじっと見ていた。彼は出来るだけ表情を消したまま、男を見ていた。平常心を保たなくてはならない。最後に、彼に心を決めさせなければならないからだ。
男は俯いた顔をちらと上げ、神父を見た。神父は先ほどから一切表情を崩していない。男はおずおずと頭を上げた。そしてぽつ、ぽつ、と話し始めた。神父は何も言わず、それに耳を傾けた。
「俺…いや、私は二人の人間を殺しました。母と娘です。もう15年以上前になります…………
キィ……キィ……キィ…… 軋んだ音をたててまだ換気扇は回っている。部屋の中の明かりで出来る影は換気扇に濁らされ続けている…
私はそれまで、人を殺したことはありませんでした…それが最初で最後です。これだけは本当です。今まで数え切れないほどの嘘をついてきましたが、これは神に誓えます。
その頃の私は金がなかった。私はその親子をすぐに殺しはしませんでした。娘はまだ小さく、子どもでした。
今となっては、口に出すのも恐ろしいですが、隠し事はいたしません。私は母親の目の前で子どもを解体させました。売るためです。子どもは高く売れます。内臓は勿論、目の玉を集めるような狂人や、人皮でソファを造るのが唯一の楽しみのような人間のために、娘を解体させたのです。
莫大な金になりました。後に残ったのは……何もありませんでした………何もなくなったのを見て、ようやく自分がしたことが恐ろしくなったほどです。その跡には汚れた手術に使ったテーブルが一脚。ただそれだけです。
母親は、その間ずっと失神し続けていました。顔は青痣だらけで、何度も強姦され、煙草を押し付けられた後が手の甲に無数にありました。というのも、母親だけ別の場所においておくのはもったいないと思ったからです。どうぜだから、一緒においておけばいい。そう思ったのです……
今の自分ならどう思うでしょう?我が子が目の前で泣きながらバラバラにされるのを見て、叫ばない親がいましょうか?いません。そんなことはあってはならないのです。
しかし私はその親の前で、娘を…バラバラに引き裂き、騒いだ母を強姦させたのです。ひたすらに金がなく、借金だが積もり、目の前が見えなくなっていたのです。
いえ、だからといって許されることではありません。
しかし、私はそのようにしました。
それから母親を飼い殺しにして、売り物にしました。……スナッフ・ビデオというものをご存知でしょうか?いいえ、知らなくてもいいものです。アレは悪魔に心を売り渡した人間の狂気の現れです。
人間を生きたまま切っていく、または大きな鉄の棒を貫通させる。自信で舌を切り取らせる。または犯しながら殺害する………いいような様々です。
結局、その母親も、最後には見れた姿ではありませんでした。手も足もなく、右の乳房もありませんでした。身体のいたるところに縫い後が走り、アイ・マスクで隠した眼窩にはもはや瞳は存在しませんでした。
………彼女はそれでも生きていました。芋虫のようにもぞもぞと身体を動かし、どこにもいけぬまま、ころころと転がり続けました。
私は彼女をショット・ガンで撃ち、殺しました。大きな音がして、顔は赤いぐしゃぐしゃの何かに変わり果てました。
それから、私が捕まったのはすぐのことです。
人生とはわからないものですね………。私がつかまったのは、スナッフ・ビデオでも殺害でもなく、冤罪でした。麻薬のディーラーと間違われたのです。
そこから先は、まさに『木の根を掘る』ように、私の悪事は次々に引っ張り出され、私は死刑判決が出るのをただ待つ身になりました。
……私がしたことの最大の罪は、愛する人を奪い去った罪でしょう。目の前で娘を殺させ、母親を奈落のそこへ落とし、娘は自分のもっとも偉大な盾がただ何も出来ずに見過ごすのをその目に焼き付けさせ、そして彼らを愛する夫、そして父から何も権利もなく、悪魔よりも残虐に、彼女達を奪ったのです。
法廷で彼を見たとき、彼は涙を流しながら、渡井をにらみつけていました。
………何よりもその目が恐ろしかったのです。彼の目は赤く燃えている様にさえ見えました。深い悲しみの中、目は別のことを訴えていました。
私はそれが恐ろしかったのです。『復讐』が。凍りつくようなあの瞳はそれを物語っていました。それは、私にとって、何よりも何よりも恐怖でした。
地獄も、悪魔すら、怖くはありません。しかし、あの目は私を見ている。
この十五年…あの瞳を夢に見なかった日はありません。しかし、それら全てから、解き放たれるのですね。私は全てを後悔しています。あの親子を殺したことも、彼らへの仕打ちも、そして法廷で彼の眼を見てしまったことも………」
神父は、短く息を吐くと男に言った。『今の言葉を、神に告げなさない。眼を瞑り、手を組んで祈るのです』
男は言われるままに、手を組んで眼をつぶった。神父が立ち上がるのが、雰囲気と、衣擦れの音でわかった。
男が祈っていると、男のこめかみに、冷たいものが押し当てられた。
男が眼を開けると、神父は男のこめかみに銃を更に強く当て、そして、男と視線を合わせた。
「嘘だ…なんで……」
男が歯を震わせて噛み鳴らせながら、言った。神父は燃えるような瞳を、男に向けていた。
「ようやくだ…十度年間待った。このときのためだ。レベッカもソフィーも、お前に殺された。法廷でお前を見たときに、お前に復讐することだけを、考えていた。そのために顔も変えた…全てを捨てて、そして復讐を得た……ようやく、全てが終わる………………」
神父は片時も、眼を離さなかった。瞳は、赤く燃えていた。悪魔の瞳だ、それが、男を捕らえ続け、離さずに、縛り続けている。
「あ…あ、ああっ…、いやだ、ようやく、その眼から、逃れたんだ…嫌だ…嫌だ、ああっあああああああああああ…………………………………………………
監視カメラで、懺悔室の以上にようやく看守が気がついたとき、そこには人間はいなかった。懺悔室に残るのは、赤い道だった。
どうやって気がつかれずに外へ出たのかわからないが、男の死体は変わり果てた姿で処刑室で見つかった。
最後の最後まで、神父は見つからなかった。
Fin.


